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2008年12月21日 (日)

訃報二題

A部先生が亡くなられた。享年88歳という。

「風邪ひいたみたいなんですけどぉ~」

誰が風邪って言ったんだ?

「は・・・?」

ほとんどの患者さんがこんな会話をしたことだろう。

私も前の患者さんがこうだったので、あまり話さないようにした覚えがある。

風邪という大雑把なことではなく、熱があるのか、のどが痛いのか、咳が出るのか、もっと具体的な症状を聞きたかったのだと思う。

でも大正お生まれの男気のある先生なので真っ正面から言ってしまうのだ。

幸い私は、先生と父との交際から昔から暖かく接していただいていた。

最初に先生に会ったのは幼稚園の頃だ。
積み木を受取ろうとして親指と人差し指の間のヒレみたいな所を切ったのだ。
実はそうあまり痛くなかったんだけど、血が出たので一応泣いてみた。
で、幼稚園のすぐ裏にあるA部先生の所へ連れて行かれた。
切った時より、縫った時の方が痛くて、この時本当に泣いた。

次は、風邪をひいて母に連れられていった時だ。
「注射しないなら行く」と約束したものの、やはり注射することになり、泣きべそ顔で母をみた。母も私と先生の板挟みになりながらも、「やはり注射しなくちゃだめなんでしょうか・・」と一応聞いてくれたみたいだった。

もちろんあえなく玉砕(笑)

でも、誰もが恐れる先生に一応でも言ってくれたのが、うれしかったのだが、帰りに何も言わなかったのにプラモデルを買ってくれた。(^^;)
(ん?私のことだから言ったかな?)

今、思うと、縫ったのも注射したのも、患者の早期完治のための処置に間違いはない。

大人になって、何かの折、一緒に飲む機会があった。
その時、楯岡の老舗飲み屋さんからバーと色々連れて行ってもらった。

昔、楯岡がまだ賑やかだった頃の、今で言うとセレブな旦那衆の回り方だったのだろう。
最後のバーでは、先生の”いつもの席”というのがあって、誰も座らないか、座っても自然に先生が来ると混んでても空ける・・・みたいな、それほど威厳のある先生だった。

私が椎間板ヘルニアになった時だ。
「君は私が完全に治してやる」
そう、言っていただいた。

しばらく牽引等で治療に通ったが、別の病院で手術をすることに決めた。
完治後、そう言っていただいてた先生にどう伝えようかと迷ったのだが、意を決して報告に行った。
知ってる人なら、この時、私が震えていたのを笑うことはできないはずだ。

で、報告。

何を言われるだろう・・・

と思ったら、

「こっちに来なさい」

と、外へ連れ出された。

ひぇ~~・・・

行ったのは、医院の向かい側にあるビニールハウス。
中には「胡蝶蘭」が何百と所狭しと並んでいた。
色々、説明を受けたがほとんど覚えていない・・・

で、最後に、、

「これ、あげる」

え?

あ、ありがとうございます。。。

あの時の先生の笑顔が忘れられない。

もちろん、その時、その胡蝶蘭がいくらするのかその価値を私は知らない。

数年後、その時もらったのより全然小さいのが何万とTVで言っていた。

・・・・・・ (硬直)

今、知った。。

その価値を。。。

・・・てことは、あのビニールハウスは二棟あったから、いくらに・・・

なんてことは思わないようにしようと・・思ってもついしてしまう。。。

-----

戦時中、最後の特攻隊に志願したものの、最後の最後で出撃とならぬも、空襲で同期の桜が全員亡くなられた話は聞いていた。
毎年、鹿児島へお参りに行っていることは葬儀の席で知った。

東京で副病院長をなされている長男さんが葬儀の挨拶で、東京で一緒に暮らそうと言っても頑として聞き入れないと言っていた。
理由は「このまちが好きだから・・・」と。
涙が出そうになった。
”まち”の中に、父も含めた先生を慕う多くの友人知人という意味が入っているのはあきらかだった。

医院を閉じるまで地域医療とライオンズクラブ創設をはじめ地域活動に尽力された。下の娘が山形H高校に通えたのは、学区制になるところを猛反発した先生の運動のおかげだ。

改めてご冥福をお祈りいたします。合掌。。

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同じ時、秋田の同業者の社長が亡くなられた報に接した。
昨年、工場見学させていただいたばかり。
私と同年代であり、秋田代表FWということもあって病気とは無縁だったのだが、仕事中だったのだろう?車中で帰らぬ人となられたとのこと。
金融不安による景気の急激な悪化が、彼を蝕んだことは容易に想像できる。

今夜、これから先日に引き続きまた東京行きが決まっていたので、葬儀参列は断念したのだが、心よりお悔やみ申し上げます。

合掌。。

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コメント

お元気ですか?久しぶりです。
楯岡のA部先生がなくなられたんですね。実は、会計事務所で働いている時に、A部先生の会計は、うちの会社が担当していました。何度か自宅にお伺いして、仕事をしたことがあります。あの自宅の、庭が、すご~く素敵なのよね。あまり仕事をせず、庭ばかり見てたら、「さっさと仕事してください」と、一緒に行った後輩君に何度となく怒られました(笑)
息子さんたちが、東京に来いと言っていたのは、あの頃からずっと私も聞いてました。でも、この場所が好きだから、絶対行かないと言うのも聞いてました。ホントに最後まで行かなかったんですね。 ご冥福をお祈りします。

投稿: 貴族ぅ。 | 2008年12月22日 (月) 20時05分

私の亡父とA部先生が親しかった為(麻雀仲間だったかな?)
何故か私は小学生時代、学校帰りにA部先生宅へ寄って、宿題を済ませてから自宅へ帰るというパターンの時期がありました。生まれて初めてA部先生宅で「プッシュ式の電話機」を見たのをよく覚えています。診察では、「1から10として、どれ位痛い?」ってのもありましたよね?(ん、1から5だったかな?)
お気に入りのバーって「蜂の巣」だったかな?
ご冥福をお祈りします。

投稿: 真顔で嘘 | 2008年12月23日 (火) 10時39分

>>貴族ぅ。さん

先日は一緒に飲めなくて残念でしたね。
お大事になさってください。
さて、さて、そうですか、奇遇ですね~。
うん、すばらしいお庭でした。
今はあそこを更地にして市に寄贈されています。
庭も素晴らしかったですが、その人徳はもっと素晴らしい方でした。


>>真顔で嘘さん

久しぶり、元気?
そう、「1~10」ですね。
「前回8くらいだった痛みが今は2くらいになりました」
と報告すると、
「あ、そうか」とにこにこしてくれました。

蜂の巣、小学生時、私の通学路にあって、それはそれは摩訶不思議空間であり、大人になって初めて先生に連れて行かれた時、「おぉ、とうとうここに来たか!!」と感慨深いものがありました(^^;)

投稿: TERU☆ | 2008年12月23日 (火) 12時22分

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